銀座「空也」の栗茶巾に使われているダイヤモンドカットの栗を探しに笠間へ
1884年(明治17)に創業し、文豪の夏目漱石や林芙美子、歌舞伎の九代目市川団十郎といった文化人に愛され、今もなお銀座六丁目に店を構える和菓子の老舗が「空也」です。すべてのお菓子は職人の手作りで、その日の分は予約をしなければ買えない空也の最中は、大切な人に贈りたい商品の一つとして、今も多くの人々に愛されています。
人気の最中のほかにも、季節ごとに変る生菓子が6種類入った箱詰め菓子も好評で、9月中旬から11月初め頃までは、大きな栗の甘露煮をまるごとあんこで包んだ栗茶巾が加わります。
この空也の秋の名物菓子に使われている大きな栗は、実は笠間市産であることはあまり知られていません。
大きさと品種を揃えることで均一な炊きあがりに
「空也もなか」の文字が書かれた暖簾が揺れる銀座六丁目。空也の店舗が1階に入るこのビルの上階では、人気の最中を含む、すべての和菓子が製造されています。製造を仕切るのは、製造主任の町田智貴さん。空也に入社して18年の熟練の菓子職人です。
「笠間市産の栗を使いはじめて5年ほどになりますでしょうか。東京から近い、茨城県ということもあって鮮度が良いのと、品種を揃えて送っていただけるのがとてもありがたいです。というのも、甘露煮にしたときに品種が異なると、均一に炊きあがらないからです」と町田さんはいいます。
笠間市での栗の収穫時期は9月上旬から10月下旬に行われ、早生、中生、晩生と緩やかに品種が移行していきます。たとえば、比較的よく知られている「丹沢」は早生品種で9月上旬から収穫。一方、「石鎚」は晩生品種で、10月上旬以降に収穫されます。それらの品種を、時期に合わせて取り寄せているのです。
空也では、栗の季節になると、栗茶巾のほか、栗羊羹も製造しています。品種と大きさを指定したうえで、産地で渋皮まで剥いた生栗5Kg(およそ300粒)を取り寄せ、3日間かけて甘露煮にしていきます。
できあがった栗茶巾を食べてみると、やわらかく炊きあがった栗の甘露煮のなかからじんわりと染み出す甘い蜜に心を奪われます。この蜜はジュワっとあふれ出るようなものではなく、あくまで「じんわり」。奥ゆかく、しみ出るような蜜の甘さは、空也の和菓子がもつ繊細な世界観そのものともいえます。
「このじんわりと蜜がしみ出てくるのは、私も大好きで、やはりこれは、品種がバラバラで炊いても出せないもの。品種と大きさを揃えて届けてくださっているからこそできることでもあります」
栗の産地に生まれたからこそ
ダイヤモンドカットの美しさに気づく
布巾でやさしく絞られた栗茶巾の上部からは、かわいらしく栗の頭が見えています。町田さんは、栗の形、とくに剥き方の美しさは笠間市産の栗の大きな魅力だといいます。
「このダイヤモンドのカットように、栗の形に合わせてきれいに面がとられているのが素晴らしいんです。和菓子は、おいしさがもっとも大事ではありますが、見た目の美しさも大切で、食べる人の心を魅了するものでもあります。笠間の栗の表面のなめらかなカットは舌ざわりも良いので、ダイヤモンドカットは、空也の栗茶巾のおいしさを支えてくれているものの一つだと思っています」
栗茶巾は、9月の終わりから和菓子の詰め合わせの1つに加わります。そのため、笠間の栗の収穫がはじまる9月中旬よりも前は、愛媛県の栗を使っています。十分に味わいもよく、おいしい栗茶巾を作れると町田さんはいいますが、カットの仕方は、笠間市産の方が美しいと感じているそうです。
「私は、長野県高山村の出身で、実家は和菓子屋なんです。故郷は、長野県の栗の産地でもある小布施市にも近く、秋になると栗剥きを手伝わされていたんです。だから、栗を剥く大変さはわかっているのもあって、この美しいダイヤモンドカットは、職人技として素晴らしいものだと日ごろから感じているんです」
ダイヤモンドカットされた剥き栗は、水を入れたビニールに詰められ、さらに氷を入れた袋に入れ、2重の袋に入れられた状態で発泡スチロールに入って笠間を出発し、冷蔵便で銀座の空也に届きます。
「美しいカットだけでなく、栗の鮮度を保つことを最優先にして発送してもらっています。いったいどんな風に栗をむいているのでしょうか。ぜひ笠間に行ってみたいです」という町田さんは、10月下旬に笠間市の栗農家の元を訪ねることにしました。
むき子歴40年の熟練の技に驚かされる
2021年の全国の栗の総栽培面積は16,800ha、総出荷量は12,800tでした。茨城県は、それぞれ3,190haと3,550tでダントツの全国1位(農林水産省「作物統計」より)で、栗の一大産地といえます。なかでも笠間市は県内の栗栽培の中心地です。
町田さんは店の定休日を利用し、JA常陸笠間営農経済センターのセンター長である山口秀一さんの案内で笠間市の栗農家「箱田農園」を訪ねました。笠間にくるのは、今回が初めてです。
空也と笠間市の栗との出会いは、5年ほど前。山口センター長が、茨城県東京渉外局県産品販売促進チームを通じて笠間市の栗を空也に紹介したのがはじまりでした。
やりとりをするなかで、高いクオリティを求める老舗の姿勢に対し、それに応えられる品質の剥き栗を扱える栗農家はどこだろうか――。山口さんが考えを巡らせたときに思い浮かんだのが「箱田農園」でした。なにしろ、栗のむき子歴40年で、笠間市の栗農家の婦人会で結成された「K.K.T.6(笠間の栗伝えたい6人)」の中心メンバーでもある箱田素子さんがいるからです。
まず町田さんが驚いたのは、箱田さんが一人で栗の皮を剥いているということ。5Kgの剥き栗を、多い時には週に数度笠間から取り寄せることもあって、広い選果場でたくさんの人が集まって剝いているのを町田さんは想像していたといいます。
「あの量を一人で剥いているなんて、と思いましたが、箱田さんの剥く手さばきを見ていると、信じがたかったことも納得させられます。とにかく速い、それなのに仕上がりが美しいんです」
箱田さんにかかると、包丁が栗の皮と実の間を滑るように動き、あっというまに美しいダイヤモンドカットが完成していきます。1つの栗を剥き終えるのに1分もかかりません。
「やってみますか?」という箱田さんがすすめると、町田さんは、箱田さんに教わりながら、さっそく栗剥きに挑戦。しかし、思うように皮が剥けず悪戦苦闘します。包丁と栗の動かし方や力加減が難しく、箱田さんのようにカットした面が光で反射するような、美しく平らにカットすることがなかなかできないのです。
栗のむき子として40年、さらに箱田さん以上に上手だったという母の手ほどきをうけた熟練の技に「これは、本当に難しい!」と町田さん。それでも、何度かチャレンジしていくうちに、みるみるきれいなカットができるようになります。箱田さんも「やはり、職人さんですね。上手です」と、町田さんの手先の器用さに驚いていました。
「自分でやってみて、ダイヤモンドカットをする箱田さんの技術の高さを改めて実感させてもらいました。こだわりの栗栽培と同時に、上手なむき子さんが揃って初めて、いつもいただいている栗が完成するんですね」
持続可能な「笠間の栗」産業の実現
箱田さんの栗剥きの技に見惚れた一方で、町田さんは「箱田さんがいなくなってしまったらどうしよう、と考えてしまいました」と心配もする。
じっさい、栗の栽培自体も、2021年と19年前の2003年(平成15)の全国値を比べると、総栽培面積は25,300haから16,800haへ、総出荷量は17,500tから12,800tへ減少しています(農林水産省「作物統計」より)。栗農家自体も減少しており、笠間市では最盛期には、栗のむき子を仕事にすることもできたといいますが、栗のむき子の数も、当然少なくなってきています。
一方で、箱田さんのように高い技術があれば、空也のような名店との取り引きも可能にもなり、栗むきの高い技術の習得は、栗農家の新しい収入源にもなりうるものです。
そこで笠間市では、第2次ブランド推進戦略の「儲かる『笠間の栗』産地づくり」に基づき2022年に「笠間の栗むき子マイスター養成事業」を新設。箱田さんもマイスターの講師役として参加した「『笠間の栗』むき子マイスター養成講座」を7月に募集すると、事前受付で20名の募集定員がいっぱいになり、注目度の高さがうかがえます。11月には、追加講座が開講したほどです。
さらに笠間市は、栗の生産者だけでなく、加工事業者や和洋菓子販売事業者、飲食事業者などで構成する「笠間の栗グレードアップ会議」にも注力しており、笠間の栗に関わるすべての方の所得向上と、持続可能な「笠間の栗」産業の実現を目指しているといいます。
「箱田さんのすばらしい栗剥きの技を見て、これまで以上に自信をもって笠間の栗のおいしさをお客様にお伝えできると思いました。そして、あらためて素材に対して丁寧に、食べてもおいしいお菓子を作っていきたいと気持ちを引き締めました」と町田さんは、箱田さんとの出会いによって職人としての矜持を再確認したようです。
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次回の更新は、11月30日(水)。シェフやパティシエに紹介したい美しいだけではなく、しっかり味のあるマイクロハーブやベビーリーフなどを栽培する茨城県内の農家を特集します。
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Supported by 茨城食彩提案会開催事業
Direction by Megumi Fujita
Text by Ichiro Erokumae
Photos by Ichiro Erokumae