時田武さん|地域の未使用資源を使ったチョウザメ・トラフグの養殖事業が新しい雇用を生む
茨城県南端、利根川と新利根川に南北を挟まれた河内町で、廃校になった長竿小学校の校舎とプールを利用したチョウザメの養殖と、湧水が塩水という特徴的な地下資源を活用したトラフグを養殖するプロジェクトが始まっています。
利根川と新利根川の豊富な水源を利用した稲作が盛んだった河内町で、なぜチョウザメとトラフグの養殖が始まったのでしょうか。プロジェクトを進める「トキタ」の時田武さんに話を聞きました。
地元建設会社が挑むチョウザメ養殖
2016年から、河内町が公募した廃校再利用事業に採択されて始まったトキタの養殖事業は、チョウザメの養殖から始まりました。チョウザメの卵は、塩漬けにされると、フォアグラとトリュフとともに世界の三大珍味のひとつ「キャビア」になり、世界の食通が憧れる食材の一つとして珍重されます。
ひと口にチョウザメといっても、ユーラシア大陸と北アメリカの寒帯から温帯にかけて、淡水または海に広く分布しており、いわゆるチョウザメと呼んでいる「チョウザメ目」としては、現在24種が知られています。
世界的にみるとチョウザメは、1975年に発効した「絶滅のおそれのある野⽣動植物の種の国際取引に関する条約」(通称、ワシントン条約)に、「チョウザメ目」として規制の対象になっています。水質汚染や乱獲によって天然のチョウザメの漁獲量が低下している現在、養殖チョウザメへの期待は、国際的にも年々高まっています。
養殖チョウザメの歴史は、1980年代にソビエト連邦(現・ロシア)からチョウザメのベステル種(F1種)を贈られたのが始まりとされています。1980年代後半に、水産庁がチョウザメのふ化を成功させたことで国内の養殖事業がスタートします。そのため、チョウザメ養殖自体は日本では30年ほどの歴史がある養殖事業ということになります。
トキタは、建設工事会社「コスモ興業」の社長でもある時田さんが設立した陸上養殖の会社。なぜ建設会社が養殖事業に進出したのでしょうか。
「河内町の小学校と中学校が統合されたことで廃校になった施設を再利用するための事業公募のリストにチョウザメの養殖があったんです。チョウザメの養殖は、1992年に日本の民間企業として初めてチョウザメの人工ふ化に成功したフジキンさんがつくばで研究所をもっていました。養殖の技術やキャビアを含む加工までもフジキンさんがしっかり指導してくれるという話を聞き、さらに、養殖施設を作ることは建設会社である我々の本職で、導入コストを抑えられる。そんな見込みがあったこともあり応募したところ、ありがたいことに採択され事業が始まりました」
時田さんは、チョウザメ養殖だけでなく、水産養殖と水耕栽培を組み合わせた「アクアポニックス」という循環システムを取り入れた養殖事業を進めています。
チョウザメの養殖で使われて汚れた水は、ろ過槽でろ過される際に、特殊な技術によってチョウザメの糞尿から液肥をつくり、それを使った水耕栽培で野菜を育てるというもの。野菜が液肥を栄養として吸い上げると水は浄化され、この水をふたたびチョウザメの水槽に戻す資源循環モデルです。
水を循環させる配管や水槽の設置などは、建設会社こそが本職。実際にトキタでは、稚魚から1年未満の”1年生”と2年目からは”2年生”と別々の水槽を校舎内の教室を改装して作り、”3年生”以降は、屋外のプールで”進級”させるようにし、そのすべての水槽を循環させます。さらにプール脇に作った水耕農園で、レタスやブロッコリースプラウト、空心菜、パクチーなどを栽培。町内の小学校の給食などに使われています。
「チョウザメは稚魚から7年たって、ようやく卵を持ち始めます。トキタは、いま創業5年目。創業時に飼い始めた2、3歳のチョウザメたちが、少しずつ卵を持ち始めるようになりました。今は、安定した出荷を目指して、試行錯誤しているところです」
ロケットの部品を作る会社が
チョウザメ養殖に出会うまで
トキタのチョウザメ養殖事業に対し、稚魚や技術を提供するフジキンは、つくば市の万博記念 つくば先端事業所の敷地内にある「ライフサイエンス研究所」内で養殖事業を行っています。稚魚のふ化から、養殖、販売、技術指導にいたるまでを行っています。
本来、バルブ製作会社であるフジキンは、宇宙ロケットや海洋潜水調査艦にその製品が使われるほどの世界をリードする会社でもあります。そのフジキンがチョウザメ養殖に乗り出すきっかけになったのは、つくば万博跡地に筑波フジキン研究工場(現:万博記念つくば先端事業所)の建設でした。
工場を建てる際、近隣への振動を吸収するため水槽を設置する必要がありました。さらに、バルブは配管を流れる液体や気体の流れを開け閉めしたり、量を調節するために用いられる機器であり、養殖環境下の汚水と浄水の水の”流れ”のシステムを作るのはお手のもの。吸振用の水槽を有効活用と、水流調節が基本のバルブ技術の応用できる新事業として「チョウザメ養殖」に挑戦をすることになったのです。
1998年には世界で初めて水槽での完全養殖を実現。以来、フジキン産のチョウザメは「キャビア・フィッシュ(超ちょうざめ)」と名付けられると、近年は海洋資源の保護や、新規雇用の創出、技術革新、クリーンエネルギーといったSDGsの17の目標の多くを実現させるサステナブルな食材として注目され、高級レストランの料理人が使う食材にもなっています。
なお、チョウザメがふ化してから卵を持つまで最低7年はかかります。養殖事業を進めるうえで、初期投資から7年間も無収入期間が続くのは、事業としてとても現実的ではありません。そこで、幼魚育成期間でも副収入が見込めるようにと水耕栽培を組み合わせた「アクアポニックス」のシステムを作り上げたのもまた、フジキンでした。
地下塩水を活用したアクアポニックスを目指す
1666(寛文6)年に完成した新利根川は、1946(昭和21)年に農業水利工事が始まり、低湿地だった河内町を含む周辺地域が水田化され、茨城県最大の米作地帯になりました。
しかし、美しい水田風景が広がる現在の河内町からは想像できないかもしれませんが、約2万年前は大きな谷の底だったといいます。その後、縄文時代にあたる6000年前には海の水位が高くなると、現在の霞ケ浦や茨城県と千葉県の県境を流れる利根川一帯が海と繋がり「古鬼怒」とよばれる湾になっていたそうです。
そのため、河内町の地下水は今も1.8~2%前後の塩分濃度をもつ塩水で、農業や飲み水には適さない未利用の地下資源でした。時田さんは、この地下塩水にも注目。海洋魚のトラフグの養殖を2018年にスタートさせるのです。
「トラフグは温度に敏感な魚で、18~23℃の海水でしか生息できません。海上養殖でしたら水温が1℃違うだけでも成長が変わってしまうそうです。しかし、陸上養殖なら海に比べて温度管理もしやすく、一番適している22~23℃をキープし続けられるんです。海上養殖では1㎏の魚体になるのに2年かかるところを、陸上養殖なら1年で1㎏に成長します。河内町ならではの養殖事業になるはずです」
ちなみに、海水の塩分濃度は3.2~3.4%ほど。河内町の地下塩水は2%程度だとすると塩分濃度が足りないのではないかと心配になるが、トキタでは海水魚は1%以上の塩分濃度があれば十分生息できるそうで、地下水を減菌、ろ過処理をするだけで塩分濃度を変えずに使っています。なお、淡水魚であるチョウザメには塩分濃度が高いため、地下水に水道水を混ぜて塩分濃度0.3%程度に希釈して使用しています。
さらに、現在のトラフグ養殖では塩分濃度が高すぎて、チョウザメ養殖のアクアポニックスシステムで育てているような葉物野菜の栽培は困難でしたが、現在トラフグ養殖で使われている塩水でも育つ植物の栽培の研究をしており、トラフグ養殖でもアクアポニックスシステムを導入できる見込みが立ってきたと時田さんはうれしそうに話します。
「河内町は、都心に近い町ですが、ご覧の通り過疎化が進んでいる地域です。地域にある未使用資源を使った新たな事業の開発は、地域に雇用を生み、町を活性化させると信じています。実際、トキタには、私の姪にあたる岡野美咲がUターンして、このプロジェクトに関わってくれています。もともと都内でアパレルの仕事をしていた美咲は、私たちとは違った目線でチョウザメやトラフグの価値を伝えていってくれると期待しています。すでにプロモーション映像の撮影もスタートしていて、今年の秋には色々と発表ができそうです」
チョウザメの卵や身は、近隣のレストラン「創作イタリアン&カフェ Talpa(タルパ)」とも連携して、キャビアの試作だけでなく、身の活用などの商品開発が進められています。
「チョウザメの身は、食べたことがないという方がほとんどだと思います。卵だけでなく身もおいしいことをもっと広めていきたいですし、クセがなくどんな料理にも使っていただける食材だとも思います。さまざまな料理に試していただきたいですね」と時田さんは、日本に「キャビア・フィッシュ」という新しい文化を生むことができれば地域を活性化させることができると信じているのです。
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次回の更新は、6/23(水)。フジキンが育てた「キャビア・フィッシュ」を使って自家製キャビアを作る京都のイタリア料理店「チェンチ」の坂本健さんに、地産地消を超えて、茨城県の食材を使う理由について聞きました。どうぞお楽しみに!
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Direction by Megumi Fujita
Edit & Text by Ichiro Erokumae
Photos by Ichiro Erokumae