茨城沖のイセエビ漁獲量が4年で7倍以上になっているのは一体なぜ? 水産物を扱う料理人が知っておくべき資源評価とは
突然ですが、クイズです。
「8→18→24→30→58(t)」
この数字、いったい何を指しているでしょうか?
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答えは、2017年から2021年までの5年間における、茨城県のイセエビの漁獲量の推移です。全国順位も15位だった2017年から、5年で6位にまで上昇。全国トップレベルのイセエビの産地になってきました。
このイセエビの漁獲量が増加している状況を受け、茨城県の漁業者や加工業者、市場関係者、飲食店などで構成される「県産イセエビ消費拡大検討会」は、茨城県産イセエビのブランド化を目指して動き出しました。2023年6月30日に大井川和彦茨城県知事との意見交換によってブランド名「常陸乃国いせ海老」とロゴマークを決め、発表しました。
茨城県では、イセエビの盛漁期は7〜9月で、主に刺し網漁法で漁獲されます。刺し網漁法は、帯状の網を、魚などの遊泳経路を遮断するように海中に設置し、網に絡ませて獲る漁法です。網に魚が刺さって見えることからその名がつきました。
夕方に網を仕掛け、翌早朝に網揚げを行う、夜行性であるイセエビの生態を利用した漁法で、刺し網で獲れたイセエビは、一尾一尾丁寧に網から外され、活きたまま出荷されます。
県産イセエビのなかでも「常陸乃国いせ海老」を名乗ることができるのは、「600g以上で活魚または冷凍」(スタンダード)か、「1㎏以上の活魚」(プレミアム)で、いずれも触角・眼が揃い見栄えがするもの、というブランド基準をクリアしたものです。
こうした規格基準を設けたのは、県産イセエビが他県産と比べてサイズが大きいものが多く獲れることが理由です。
2023年5~8月に茨城県水産試験場で測定した県産イセエビの頭胸甲長(眼の後ろのくぼみから頭胸甲の後端までの長さ)を他県の公表資料と比較すると、他県では頭胸甲長50~60㎜が漁獲の中心であるのに対して、本県では平均70㎜程度と大きいことがわかっています。なお、頭胸甲長90㎜を越すと体重600g、110㎜を越すと体重1kgになるとされており、茨城県産イセエビのなかでも平均体重以上のものを常陸乃国いせ海老としてブランド化したことになります。
このような特長を活かし、県内のみならず東京都内、栃木県内の飲食店にも常陸乃国いせ海老の魅力を伝えていこうとしています。
茨城県は海面漁業の漁獲量が北海道に次いで日本2位(2022年)と、「水産物の県」として知られていますが、高級食材である常陸乃国いせ海老が広く知られることにより、茨城県が誇るそのほかのさまざまな水産物にも関心が高まるという効果が期待できるのではないでしょうか。
たくさん獲れるようになったのは、シェフや料理人にとってうれしいことです。しかし、いったいイセエビの漁獲量の増加は、何が原因なのでしょうか。将来も継続して獲り続けるためにはどのような資源管理が必要なのでしょうか。
そんな疑問を解消すべく、海洋水産資源を持続的に活用するための研究と、資源を回復させるための研究などを行う茨城県水産試験場(ひたちなか市)を訪ねました。
「漁獲量=海の中の資源量」ではない
「漁獲量の数字は、注意しながらみていかなければいけません」というのは、茨城県水産試験場定着性資源部主任の多賀真さんです。
「茨城県では、『県のさかな』でもあるヒラメのほか、カレイなどを狙う刺し網漁が盛んです。近年ヒラメのかわりに、イセエビがかかるようになってきました。そうすると漁業者さんたちは、経済性を考えて増えてきたイセエビも狙うようになります。これを漁獲努力といい、イセエビの漁獲努力量が上がったことで漁獲量があがったともいえます。つまり漁獲量だけをみても『海の中のイセエビの数が増えた』といいきることもできないわけです」(多賀さん)
もちろん、茨城県の海でイセエビがまったく増えていないというわけではありません。
『イセエビの漁獲動向と資源管理』(出典、2011年発行)によると、イセエビの漁獲量の中心が北に移動している事実が示されています。
漁獲する地域の中心は、1960年代以前には愛媛県から徳島県の四国付近でしたが、しだいに東に移動し、近年では三重県周辺になっています。その流れが、以後も続くと仮定すると、イセエビが獲れる地域のなかでも北東にあたる関東の沿岸部で漁獲量が増加するというのは、大きな流れということもできそうです。
全国のイセエビの漁獲量は最低が969t(1988年)から最高で1,691t(1968年)の間、平均して1,252tで推移しており、「漁獲量は極めて安定している」と報告されています(出典)。なお、直近10年の平均は1,148tです。
「イセエビが茨城県の海で獲れるようになった要因のひとつに、海水温の上昇があげられています。実際に茨城の海水温は高くなってきていることは事実ですし、獲れる魚種が変わってきているのも事実です。しかし、海水温の上昇がイセエビが獲れることに直接影響を与えているかについては調べるのが難しいものでもあります。それは、自然界では食うものと食われるものの関係など、とても複雑な生態系のなかで成り立っていることから、簡単にはいえないのです。とはいえ可能性としては、否定はできないとは思ってます」(多賀さん)
海水温の上昇は、環境破壊による地球の温暖化と結びつけたくなりますが、「それについても一概に言いきることはできない」と多賀さん。地球規模でみると、氷期と間氷期を約10万年の周期で繰りかえしており、自然の摂理の一部とみることもできますし、そもそも自然はたくさんのことが複雑に絡まりあっており、直接的な要因ということは難しいのです。
地域の資源は自分たちで管理していく
多賀さんが所属する茨城県水産試験場には、資源を取り扱う部署として定着性資源部と回遊性資源部という2つの部があります。このような分け方をする水産試験場は全国的に珍しく、前者はイセエビのほか、ヒラメやカレイ、アワビなどのように海底に接地して生きている資源の研究をおこない、後者は、イワシやサバ、シラスのような回遊している資源の研究をおこなっています。
ちなみに茨城県では、研究対象は天然資源になりますが、養殖が盛んな自治体では、養殖部署があるなど、それぞれの地域の特性によって変わります。
「定着性や回遊性といってもすべてをわけることはできず、たとえばヤリイカなどは、当初定着性資源部で扱っていましたが、今は回遊性資源部が担当しています。イセエビも定着性資源部が担当ですが、生態に謎の多い生き物です。たとえば産卵・ふ化後は、体長数ミリのフィロソーマ幼生として、海の中で浮遊し、黒潮ではるか沖を流されて1年後にようやく戻ってくるとされています」というのは、定着性資源部部長の黒山忠明さんです。
定着性資源部は、海洋水産資源を持続的に活用するための研究と、資源を回復させるための研究を目的にしています。
「私たちは、資源評価という手法で、茨城県の漁業者のためになる仕事をしています。水産試験場の資源評価は、海の中にどれくらい魚がいるかということを評価することです」と多賀さんはいい、その評価をもとにどれだけ獲ってよく、どれだけ残すべきかを他の専門家などとともに、漁業者の経済性を考慮しながら議論していくことになります。
そのプロセスには、さまざまなデータが必要で、漁獲量は、あくまでそれらのうちのひとつ。他にもたくさんのデータが必要だと多賀さんはいいます。
「『海の中にどれぐらい魚がいるか』を知るために、実際に漁港に行って揚がっている数や大きさを調べる市場調査を行います。海にどれくらいの年齢の魚がいるかを知ることも重要です。イセエビは、脱皮を繰りかえすので年齢はわからないのですが、私たちは、イセエビの体長をノギス(長さを測る測定器)で1日100匹から200匹を測り、大きいものは全体の何%いるかを出すと、おそらく海の中でも同じなのではないかと推測することができるのです」(多賀さん)
とはいえ、水揚げされるのは刺し網漁にかかったイセエビたち。網にかからなかった小さいイセエビの数までは知ることができません。そもそも岩場に隠れて生息しているイセエビの実態を知ることも難しく、市場調査でわかることも、海の中のすべてではないのです。
「資源管理においては、CPUEという評価が重要視されています」と多賀さんはいいます。CPUE とは「Catch Per Unit Effort(単位努力量当たり漁獲量)」の頭文字をとったもので、漁獲努力量の影響を取りのぞいて、海の中の資源を見ようとするものです。具体的には、ある日に網をかけ、それにかかった1日あたりや1網あたりの魚の量を観察していくものです。
「すごく単純な方法ではありますが、たとえばCPUE が、昔はすごく高かったのに、だんだん下がってきているのであれば、それは資源が減ってきているのではないかということが推定できます。そのうえでようやく努力量を下げようという議論ができるわけです」(多賀さん)
全国的に、イセエビの漁獲量が多い三重県や千葉県では、漁獲量とともにCPUEを使った調査も公表され、毎年資源評価が公表されています。一方で、環境によってCPUEの調査がしにくい地域では、漁獲量をもとに資源評価をしていることもあり、資源評価の指標は、管理する自治体によって差があるのが現状です。
データを集めるほど資源評価の精度は高まる
資源評価について知ることができましたが、結論として茨城県イセエビの漁獲量が増えたからといってブランド化して大々的に売りだすことは、資源管理の面で問題ないといえるのでしょうか? もっとも知りたいことを最後に直撃してみました。
「正直に申しあげて、問題があるかどうかは、今のところわかりません。それを判断するためのデータをようやく集め出したというところですから。茨城県におけるイセエビの資源評価は、まだ始まったばかり。マラソンでいえば、スタートのピストルが鳴った直後といったところです。ですが、漁業者からは明らかにイセエビが増えているという声が聞かれており、それを科学的に示していきたいと考えています。人間の目では見えない海の中の資源評価は終わりのない仕事なのですが、データを集めれば集めるほど、精度は上がっていくものです」(多賀さん)
もうひとつ気になるのは、常陸乃国いせ海老のブランド基準です。常陸乃国いせ海老は、体重600g以上のイセエビです。資源評価のためのデータが不足しているなかで、この基準に懸念点などはないのでしょうか。
「これまでの市場調査では、600g以上のイセエビは結構な割合でいます。それがブランド化以降、大型のイセエビがどんどん減っていくようなら、海の中の資源量も少なくなってきているというシグナルになります。もちろん、後に大型に成長していくと考えられる中型のサイズを含めた組成がどうなっているかも見ていく必要があるので、継続してさまざまなデータをもとに調べていかないと意見できません。漁獲量やCPUEなどを元にした資源評価を、1、2年のうちにはやりたいと考えています」と、多賀さんは、データ不足の苦悩をにじませますが、イセエビの資源管理に向けた調査を進めているといいます。
他のイセエビの産地では、体重200gから300gが、600g以上の大型イセエビよりも高い値がつく例もあります。小型であれば、1匹まるごと飲食店や旅館などで提供できるためです。
小型よりも大型のイセエビになれば食味が上がるというような調査はなく、データ化するのは難しいと多賀さんはいいます。しかし、こういった場面こそシェフや料理人の出番といえます。
大型のイセエビの味わいや姿の特徴を活かした料理が考案されることで、大型のイセエビブランド「常陸乃国いせ海老」の価値が上がっていけば、漁業者たちも600g以上のサイズを目指してイセエビ漁をするようになるでしょう。
「水産試験場の業務としていちばん重要なことは、やはり現場のためになることだと思っています」水産資源は、獲らなすぎても漁業者にとってはダメージになり、獲りすぎても、それが乱獲になって資源が減ってしまいます。
ブランド化がはじまったばかりの常陸乃国いせ海老が、茨城県の漁業を助け大切な天然資源として未来に繋げていくためにも、茨城県は終わりのない資源評価を続けていく必要があります。
「双方にとって良いバランスを探すのがすごく重要になってくると思います。私たちだけではなく、県全体でどうすることが漁業者さんにとってベストなのかを考えて資源を利用していくということが大事だと思います」と多賀さんはいいます。
茨城沖のイセエビが他所と比べてサイズが大きいものが多く獲れる傾向があることは大きな特徴です。その大きいイセエビの資源を有効活用するため、あえてそのサイズに着目し、常陸乃国いせ海老の規格基準を定めています。
大きいサイズならではのうま味や風味、活用方法をもっと伝えていくことができれば、おのずと資源と市場ニーズがマッチしていくはずです。ぜひ料理人の皆さんと一緒に、常陸国いせ海老の魅力を探求していきたいです。
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Text & Photos by Ichiro Erokumae