フランス料理の力で社会の課題を解決したい
スプーンをもった指先に伝わってくるのは、細い千切りを揚げたジャガイモの質感。そのまま、すぅっとスプーンを下ろしてソースとともにすくってから、口に運びます。
細く割かれた鶏は、やわらかく火が入ったタマネギや、サクッとしたジャガイモ、トロンとした食感のポワローネギのヴィネグレットと一体になっている。鶏のうま味が凝縮したソースが口のなかいっぱいに広がると、この料理は鶏のおいしさを目いっぱい味わうための料理であることに気付かされます。
料理名は「荒間鶏のエフィロシェ」。エフィロシェ(effilocher)とは、細く割いたという意味の料理用語です。一方の荒間鶏は、茨城県つくば市の「ごきげんファーム」で育った鶏で、養鶏を担当する荒間瑛さんの名前が由来です。「あまり聞いたことがない鶏ですね」と料理を作った「ラ・クレリエール」の柴田秀之さんに聞くと、「そうだと思います、だって僕が名付けましたから(笑)。ネットで検索しても出てこないと思います」と笑顔で答えてくれます。
しかも、荒間鶏は食肉用に育てられた鶏ではなく、卵を産むために育った親鶏で、さらには産卵の役目を終えた老鶏だというのです。
卵を産み終えた老鶏を冷蔵庫にいっぱい冷凍していると聞いて驚いた
NPO法人つくばアグリチャレンジが運営する「ごきげんファーム」は、つくば市で有機野菜の栽培や、米作り、養鶏といった一次産業をさまざまな障がいのある人たちと一緒に行っている農場です。
代表の伊藤文弥さんは2011年に、当時の市議会議員で、現在のつくば市長である五十嵐立青氏とともにNPO法人つくばアグリチャレンジを設立。つくば市内の3つの事業所では、障がいのある方々を含め、およそ100人のスタッフが働いています。
荒間鶏を育てる荒間さんは、2018年に開設された上郷事業所で、平飼い鶏の飼育や卵の収穫、卵のパック詰めなどの鶏卵事業の担当者として働いています。
「webマガジンの『料理通信』さんの企画で、2021年12月に茨城県を訪れたときにごきげんファームさんにうかがいました」と、柴田さんは、伊藤さんと荒間さんとの出会いを振り返ります。
柴田さんは初め、ごきげんファームの平飼いの卵に興味がありました。もともと卵に含まれる親鶏の飼料の臭い、とくに魚の臭いが苦手で、自分にとって嫌な臭いがしない卵がないか探していたのです。
「そもそも養鶏場に行ったのが初めてで、当然平飼い養鶏も初めて。飼料のことやノビノビと育てようとしていることなどを聞きましたが、正直、比較対象がないので、その場ではいいのかどうかわかりませんでした」(柴田さん)
帰ってから平飼いのことやゲージ飼いのこと、日本の養鶏場の何割がゲージ飼いなのか、ごきげんファームの平飼いはどのレベルにあるのかなど、海外の例も含めて調べていきました。相当の時間をかけて調べた結果、自分でも食べ続けたいし、お客様にも食べてもらいたいと思えたこと、何より卵を食べておいしかったことで、店で使うようになったといいます。
そんなごきげんファームとの出会いのなかで柴田さんは、荒間さんが抱えていた悩みを聞くことになります。
「お会いした方に僕がよく聞くのは『何か困っていることはないですか?』ということ。僕自身、『フランス料理の力で社会の課題を解決したい』と常々考えているということもあるからです」(柴田さん)
すると荒間さんから「エサや環境に気を付けて、鶏たちがストレスを感じないように大切に育てた鶏たちは、1年半くらいして産卵しにくくなって役目を終えると処理されるのですが、それがすごくかわいそうに思えて……。それなら私がちょっとでも食べてあげたいと思ったんです」と、食鳥処理場から廃鶏になった親鳥を買い戻し、自宅に持ち帰って少しずつ食べているということを聞いたのです。
親鳥の処理は現在、食鳥処理場にごきげんファームが1羽100円を支払って処理してもらっています。その後、処理場でと殺された親鶏は、ペットフードやサプリメントなどに利用されているようですが、実際のことは荒間さんたちにもわかりません。以前は、処理場から1羽10円をもらって引き取られていましたが、他の処理場を探して変更する労力や、少数羽に対応する処理場の手間を考えると、支払う側が逆転するのも仕方がないとも荒間さんはいいます。
「一人で食べていると聞いて驚いたんです。とはいえ食べるといっても1、2羽くらいと思っていたら、『冷凍庫にいっぱい冷凍している』と聞いて、さらに驚いてしまった。本人も『硬くてなかなか食べられないのですが、それでも大切に育てたから』といっているのに心を打たれてしまったんです」(柴田さん)
100年続くレストランを目指すためには
生産者も持続的でなければならない
柴田さんは、レストランは個人のものではなく、自分が引退しても次の世代に引き継いでいける「100年続くレストラン」を目指しています。そのためには、チームを作ってレストランを運営したいという思いとともに、レストランを支える生産者たちも、100年以上家業を続けてほしいと願っています。
「お金を払って処理してもらっている親鶏たちに価値がついて、売れるようになったらサステナブルなことですよね。ごきげんファームさんの養鶏方法は、僕もきちんと調べた上で信頼できると思ったし、第一、荒間さんの想いを聞いたら、『何かできないか!』と思ってしまいますよ」(柴田さん)
荒間さんは、柴田さんが来場した翌日、すぐに廃鶏を2羽送ったといいます。東京で受け取った柴田さんは荒間さんや伊藤さんとLINEグループをさっそく作って、情報共有を始めます。
「フランス料理にも硬くて食べにくい親鶏などをおいしく食べるための料理で『コック・オー・ヴァン』(鶏の赤ワイン煮込み)という料理があります。フランス料理の先人たちも、きっと荒間さんと同じような地域の生産者の悩みを解決しようと料理を考えたのではないでしょうか。僕も、フランス料理の技法を使って解決できないかと、さまざまな方法を試しました」
届いた鶏を、柴田さんはまず焼いて食べてみましたが、あまりに硬くて食べられませんでした。その後、赤ワイン煮込みを3つの方法で試してみたり、コンフィ(油煮)にしたりしましたが、どれもおいしくできません。続いて、圧力鍋で火を入れてみると食べられるようになりましたが、「自分にとってこれは完成形ではない、まだ何かできるはず」と、肉を真空包装して80℃で8時間、スチームコンベクションオーブンで火入れをしてみると納得できる仕上がりになりました。
しかし、ここまででは完成までのまだ六合目。あくまで下処理の方法が決まったにすぎません。真空調理をした鶏ムネ肉をどう仕上げていくかという次の課題に挑みます。
柴田さんは、フランスの高級鶏の産地・ブレスで「ミシュランガイド」で三つ星を獲り続けるグラン・シェフ、ジョルジュ・ブラン氏のブレス鶏のエフィロシェの方法を引用します。さらに味付けや付け合わせ、ソースを考えてひと皿に作り上げていくのです。
「僕の場合、食材の味をみたときに『こういう味が一番いい』というゴールが先に見えるんですね。だけど、そこに辿り着く道は、その時はわからない。だから考え付くすべての方法を試して、失敗したらその道を潰していくということを繰り返して、1本の道を探していくんです」(柴田さん)
こうした試作の一部始終をLINEグループで共有するだけでなく、出来あがった試作をごきげんファームに送って食べてもらうようにしたといいます。
「柴田さんはうまくいっていないとおっしゃっていますけど、赤ワイン煮込みは僕たちにとっては十分おいしかったんです。そのことをお伝えしたら『本物を送ってあげる』といって、後日お店で実際に使用されているフランス産の鶏などを使った赤ワイン煮込みを送ってくださったんです。やはりまったく違うんですよね、本物の味は」(伊藤さん)
「僕たちが目指しているところがどこなのか、というのを伊藤さんや荒間さんにわかってほしいと思ったんです。でないと目指しているところとの差がわからないじゃないですか。半端なことをやろうと思っているわけではないんだよということ。でもそれってすごく大事だと思うんです。僕は、もっと生産者さんが自分の食材がレストランでどう使われるか食べに来てほしいんです。そうすれば、たとえば伊藤さんが、フレンチの皿をイメージできていれば、『これ使ってもらえそう』とキュウリの花を捨てずに商売にできると思うんです」(柴田さん)
「柴田さんがおっしゃるのは、その通りだと思って、荒間鶏のエフィロシェが完成した1月に荒間とラ・クレリエールで食事をしたんです。もう感動しました。荒間鶏以外の料理も素晴らしくて。柴田さんがおっしゃっているのは、こういうことかというのがよくわかったのと、上質なミュージカルを観に来ているような気持ちになりました」(伊藤さん)
僕の料理の「敵」がまさかカラスになるとは!
ラ・クレリエールでは、エフィロシェは胸肉を使っているが、余った骨やモモ肉は、荒間鶏のエフィロシェにも使った「ジュ・ド・ボライユ」や、さまざまな料理のベースになる「フォン・ド・ボライユ」といった出汁をとるのに使われている。わずか半年で、ラ・クレリエールの料理に必要不可欠な食材になっています。
「実は、3月にごきげんファームの鶏舎がカラスに襲われてしまったんです。そのため卵がとれなくなったのはもちろん、荒間鶏も出荷できなくなってしまったんです」(荒間さん)
「そうなんです。だから、出汁をとるにも別の鶏を探さないといけない。僕は、ごきげんファームさんの鶏を信頼して使っているのですが、新しく別のところとなると、同じように信頼できる鶏を探すのが難しい。だって、一度養鶏の実情を調べて知ってしまったから。今どうしようか悩んでいるところです。けど、まさか自分の料理の“敵”がカラスだったなんてね(笑)」(柴田さん)
廃鶏や老鶏がないから料理ができない。そんな悩みをもつレストランは、日本でラ・クレリエールだけではないでしょうか? しかし、こうしたレストランが、養鶏場の数だけそばにいたらどうなるでしょう。お金をかけて処理されるものだった廃鶏が、価値のついた商品になっていくはずです。
もちろん、大切に育てた鶏であることが条件になりますが、少量・高品質を目指す養鶏農家にとって高いモチベーションになるのではないでしょうか。それこそ、柴田シェフが思い描く100年続く事業にも近づいていくはずです。
「柴田さんと出会えたことで、自分たちの目標が定まったんです。柴田さんが送ってくださった料理を食べたことで、ごきげんファームでは『廃鶏はおいしい』という認識に変って、このおいしさを届けようという方向に向かうことになりました。食肉販売業の取得を目指し、来年には処理場も作ろうとしています。具体的なビジョンが柴田さんのおかげで見えてきたんです」(荒間さん)
フランス料理の力で社会の課題を解決する。そう掲げた柴田さんの取り組みがごきげんファームで動き始めました。柴田さんは、ゴールをずっと先に見据えて、廃鶏をおいしい食材として家庭にまで届けようとしている。「荒間鶏という名前をつけたのもそのため。廃鶏や老鶏じゃ、誰も食べたいと思わないでしょ」と、一つひとつゴールに向けての必要なことを進めています。
「実は、僕はこれまでほとんど生産者さんをまわったことがなく、厨房に籠って仕事をし続けていました。だから今、乾いたスポンジのようにいろいろなことを吸収しているんです(笑)。でも僕はそれでいいと思っています。料理人の根本は、料理の腕をみがくこと。どんな食材が目の前にあらわれても料理できる状態にいないと、産地に行ったって何も課題を解決できないと思うんです。今まで料理をひたすらやってきたから、荒間鶏に出合っても秒速で判断できるし、食材のゴールが見えたと思っています」(柴田さん)
シェフと生産者が併走しながら、よりよい料理とよりよい食材を生み出していく――。「シェフと茨城」が目指す関係が、ラ・クレリエールとごきげんファームの間にあります。次にどんなアクションが生まれるのでしょうか、楽しみでなりません。さっそく柴田シェフは、夏に向けて新しい荒間鶏のメニューを考えているといいます。
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次回の更新は、6月15日(水)。都内で活躍するパティシエ・パティシエール4人が鉾田市のスイカ、メロン、イチゴの各農家を訪問しました。全国的に知られる農業産地である鉾田のフルーツが、プロたちにどう映ったのか。ツアーの様子をレポートします。
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Supported by 茨城食彩提案会開催事業
Direction by Megumi Fujita
Text by Ichiro Erokumae
Photos by Ichiro Erokumae