収穫の手伝いなのか邪魔しに来てるのか。本音は大好きな人に会いにきているだけなんです
東京・池尻大橋の商店街の先にあり、1999年にオープンした老舗「パーレンテッシ」は、本場イタリアから輸入した専用の小麦粉を使うことが多い日本のピッツェリアにあって、国産小麦を使った生地を焼く店です。
シェフの岡井巳里さんは、こちらも珍しく、イタリアレストランからピッツェリアに移った料理人。パーレンテッシは、ピッツァはもちろん、ピッツァ窯を使ってローストした肉や野菜、旬の食材を使ったパスタなども評判です。
そんなパーレンテッシで扱うピッツァ生地は、製麦していない(胚芽や表皮がついたまま)小麦を石臼で挽いた全粒粉。しかも、ただ使うだけではなく、栽培する茨城県牛久市の安部農園を毎年訪ねては、種まきや麦ふみ、麦刈りといった農作業にも積極的に参加しているといいます。
6月下旬、岡井さんが店の定休日を利用して麦刈りに行くことを聞き、帯同させてもらいました。
インターネットで
情報は集められても体験は得られない
6月22日、快晴の茨城県牛久市。本来は2週間前の予定だったものの雨のために延期になり、ようやく迎えた麦刈りの日です。朝10時、岡井シェフは白の長袖と、スポーツタイツに半ズボンという農作業慣れした格好で安部農園に現れました。
ちょうどこの日の前の週に晴天が続き、収穫の時期がきたこともあって、麦刈りの大半は済んでいましたが、岡井さんが刈るための分を園長の安部真吾さんが残しておいてくれていました。「これなら2時間もあれば刈れますね」と笑顔を見せる岡井さんはさっそく鎌を手にし、慣れた手つきで麦を刈っていきます。
「2013年にパーレンテッシに入ったときから毎年麦刈りに訪れています。スタッフにも『経験したい人は来るといいよ』と誘っていて、今年は、悪天候で開催直前に延期になったので僕一人ですが、例年は店の大学生のアルバイトが2、3人来てくれます。みんなくるとすごくいい経験ができたと喜んで帰っていきますよ。パーレンテッシのお客様と一緒に来たこともあります。今の時代、すべての情報はインターネットで得られるので、こういった貴重な経験の方がみなさん価値を感じるのだと思います」
パーレンテッシと安部農園の交流自体は、岡井さんがパーレンテッシに入る以前から続いているといいます。というのも、岡井さんは、パーレンテッシの2代目オーナー。きっかけは、先代オーナーの中野秀明さんの頃に遡ります。
そもそも安部農園は、落花生やブロッコリーといった作物をメインで栽培する農家で、小麦は、連作障害などを防ぐ目的で個人的に栽培しているもの。先代の中野さんが安心安全な小麦を探し求めるなかで出会い、小麦を分けてもらうようになったのが始まりといいます。そして栽培の手伝いもその頃から始まり、岡井さんが入店した頃には、すでに恒例行事になっていました。
「中野さんは、小麦もそうですが、野菜についても自然栽培のものを選んで使っていました。もともと僕も食材についてもっと知りたかったということもあり、中野さんと一緒に仕事がしたくてイタリアンレストランからパーレンテッシに移ってきたんです」と、岡井さんは当時を振り返ります。
先代の中野さんから2016年に店を受け継いでオーナーシェフになった岡井さんは、安部農園の全粒粉を引き続き使っていくとともに、恒例だった農作業の手伝いも続けているのです。
野菜がどう育つかを知らない
そんな料理人にはなりたくない
パーレンテッシに入る前、岡井さんは、恵比寿にあるイタリア料理店「リストランテMASSA」で働いていました。リストランテMASSAは、自然栽培野菜などの国産食材を使い、食べる人の健康を第一に考える店で、当時のオーナーシェフは、1990年代の伝説的テレビ番組「料理の鉄人」にイタリアンの鉄人として出演していた神戸勝彦さんでした。
「たとえば傷みやすい桃を運ぶときは、箱を平行に持って中の桃と桃が触れないようにすることを徹底するなど、食材の取り扱いはすごく丁寧でした。神戸シェフの元で食材だったり、それを作る生産者さんにつねに敬意をもって料理をすることを学びました」
そんななか、リストランテMASSAの同僚のソムリエがパーレンテッシ出身だったこともあり、次のステップとしてパーレンテッシに入り、中野さんのもとで食材についてさらに探求を続けてきました。
「料理人ごとにいろいろな考え方があるとは思うのですが、僕自身は野菜がどう育つかを知らないまま料理人であり続けることが嫌なんです。トマトにしても、シーズンでどれくらい実がついて、何度目に実るものがおいしいのかというところまで知っていたいんです」
麦刈りを手伝うことも、そうした食材について知る一環として積極的に参加したといい、「貴重な休日がつぶれる」というような考えも最初からなかったといいます。
「毎年畑に来ているので、『小麦の栽培で大変なことはありますか?』というようなことは聞きつくしてしまったんですよね(笑)。もちろん、実際に実った小麦から今年の出来を見てはいますけど、それよりも単純に安部さんに会いに来ているという方が正しいと思います」
安部農園の小麦100%のピッツァ生地から卒業
岡井さんが刈った小麦は、その場で脱穀し貯蔵されます(もちろんそれだけでは量が足りないので、コンバインで刈った小麦も使用しています)。
2週間に1度くらいのペースでパーレンテッシから注文がはいると、その度に石臼で挽いて、ひと袋20㎏にして送ってきます。1度に送られてくる量も大事で、挽きたての小麦の風味があるフレッシュな状態の小麦粉を使い続けるためにも、ひと袋20㎏がちょうどよいといいます。
「さらに、全粒粉のなかでも粗挽きと細挽きの2種類を使用しています。細挽きは生地にしたときのうま味、粗挽きはうま味もありますが香ばしく小麦らしい風味を出すイメージで配合をしています」
以前は、安部農園の小麦100%の生地にしていたそうですが、2021年12月にピッツァ窯を新調したことをきっかけに配合を見直し、今は北海道産の2種類の小麦をブレンドするようになりました。
「じつは、栄養価が高く体に良いこともあって全粒粉100%の生地を先代の中野さんの頃から使っていました。味や香りが強くてほかのピッツァとの差別化もできてよかったと思いますし、僕もおいしいと思っていましたが、『1枚で食べれば満足』というようなずっしりとしたもので、たとえばお子様のなかにはピッツァの耳を食べきれず残されることもありました。もともとお子様にも安心して食べてもらえるように、国産で栄養価の高い全粒粉を使っているのに、実際には残されるお子様もいる。どうにかできないかと思い悩んでいたんです」
先代から続く店のイメージもあるからなかなか変えづらい――。そんなとき岡井さんは、パーレンテッシの常連客に「国産の全粒粉小麦100%の生地だからご来店してくださっているのでしょうか?」と、単刀直入に聞いてみたといいます。そして、帰ってきた答えは「NO」。岡井さんの作る料理が好きで通っているという言葉をもらって、吹っ切れたといいます。
「自分自身で勝手に縛りを作っていたんですよね。それからピッツァ窯を新しくするタイミングで、外はカリっとしているのに中はモチっとなるような生地をイメージして、北海道産の2種類の小麦粉を加えた新しい配合にしたんです。料理を作る僕たちには、いろいろな想いがありますが、やはり一番は、たくさんのお客様においしく召し上がっていただくこと。今まで通りの全粒粉をベースにし全粒粉らしい風味や食感を残しながらも、食べやすく改良した生地になってから『軽いのでもう1枚食べたくなる』と、すごく評判がいいんです」
「じゃあまた」で別れられる
シェフと生産者の持続的な関係
2時間ほどかけて麦を刈り、コンバインで脱穀まで行って、麦刈りは終了。安部さんの自宅の一室を借りて休憩していると、「お昼も食べていくでしょう?」と、安部さんの奥様が用意してくれていたスパイスカレーで昼食をとります。
おいしいカレーを食べながら、岡井さんと安部さんは、新しくした生地や窯の話や、今年の小麦や農作物の出来具合などを話し合うだけでなく、お互いの家族の近況報告やたわいのない会話を楽しそうにしています。
「安部さんにとっては、僕らが来て麦を刈るっていうのは、ある意味"いい迷惑"だと思うんです。だって、今回みたいに収穫の忙しい時に、本来だったらバーッとコンバインで、一気に刈ってしまった方が早いですから。それでもわざわざ、僕らが刈る分を残してくれている。それを『来てくれると楽しいから』と言って迎えてくれる安部さんが、僕は大好きなんです」
昼ごはんを食べ終えた岡井さんは、用意していた服に着替えて東京に戻ります。帰ってから家族との時間を楽しむそうです。
岡井さんの牛久滞在時間は4時間ほど。「せっかく来たのにもう帰ってしまうの?」と、取材スタッフは感じる一方で、まるで日常の一部のようにシェフと生産者が会って「じゃあ、また今度」といって別れていく様子は、あまりにも自然で、とても良い関係性であるように見えました。
この場面は、持続的なシェフと生産者の関係の構築を目指す「シェフと茨城」にとってもとても新鮮で、かつ本質的に目指す風景そのもののようにも感じます。もちろん、人と人との関係は、その関係の数だけありますから、二人の姿を真似する必要はありません。
しかし、料理人と生産者がともに手を取り合い、末長く続く関係を作るためのヒントが、岡井さんと安部さん、二人の間にある。そんなことを考えさせられる時間でした。
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次回の更新は、8月24日(水)。東京・銀座のレストラン「ファロ」のスーシェフ(副料理長)、浜本拓晃さんが、つくばの「ゆうファーム」のブルーベリーをメインの一皿に使ってくださっています。産地訪問やメニュー開発の様子を取材しました。
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Supported by 茨城食彩提案会開催事業
Direction by Megumi Fujita
Text by Ichiro Erokumae
Photos by Ichiro Erokumae