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角谷 總さん|山里深い八郷が僕にとって最適なパン作りの場所でした

筑波山の麓に、隠遁した仙人のようなパン職人がいるんです――。

そんな話を事前に聞きながら向かったのは、石岡市旧八郷やさと町、筑波連山の南東にある雪入山の山裾の里。雪入山を越える朝日峠は、平安時代の歌人、小野小町おののこまちが越えたという伝説をもつ峠道で、旧峠を地元では「小野越峠」と呼んでいます。

比較的都市化していた茨城県南部の中でも”秘境の里”と呼べるような旧八郷町弓弦という地区で、築約100年の農家の蔵をリノベーションしてパン工房「フォルノ・ア・レーニャ パネッツァ」を開いたのが、イタリアパン職人・角谷すみや總さんです。

日本では比較的めずらしいイタリアパン専門の工房として、雑誌やテレビなどのメディアに何度も取り上げられただけでなく、全国のイタリア料理店から注文が入るほどの”プロが憧れるパン”であることが、角谷さんのパンの魅力をよく表しています。現在は、オンライン販売も開始し、全国にパネッツァのファンがいるといいます。

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山里でのパン作り、八郷は創作にあっている

”秘境のパン屋”っていわれますけど、ここは八郷の中でも、まだ来やすい場所ですよ。大きな通りから入ったらすぐですから。もっと山の上の方で創作をしている作家さんもいます」と、仙人のようにひげを蓄えた角谷さんは、顔をくしゃくしゃにして笑いながら迎えてくれました。

愛知県碧南市の出身である角谷さんが八郷に移住し、パン工房を構えることになったのは、2013年のこと。イタリア修業から帰った後に、栃木県益子町にあったパン工房に勤めた際に、山里でのパン作りに魅了されたのがきっかけだったといいます。

アッジョ・パオロさんというイタリア人のパン職人が開いた薪窯のパン工房『パネム』が益子にあったのです。イタリアでパン職人になりたいと決意して帰国した僕は、一度製粉関係の仕事についてから、パオロさんのお店でお世話になり始めました

築50年の蔵をリノベーションして薪窯のパン工房を作り、自然の力に任せてパンを焼くスタイルは、今のパネッツァにも通じるもので、角谷さん自身も「パオロさんのところで修業をしていて、自分自身も都会ではなくて自然の中でパンを焼きたいと思うようになっていました」と当時を振り返ります。

それから独立にあたって場所を探していたときに、つくば市にある自然派ワインを中心にしたイタリア食材のインポーター「ヴィナイオータ」の太田久人さんと出会いました。

独立に向けて、益子のような雰囲気の場所でやりたいという思いがあり、太田さんに相談して、色々と力になっていただきました。そのうちに、太田さんの近くでやりたいな、という気持ちになり、2年半ほどつくば市内で物件を探していたんです。ですが、なかなか思い描くようなところに出会えなくて。そんな中で知り合いからこの場所を紹介してもらったんです

実際にパン作りをしてみると、八郷は理想的な環境だったといいます。

パン作りでいえば、僕はナチュラルに作りたいと思っているので、たとえば自家酵母を育てるにしても、環境ってとても大事なんですね。この場所は、自然の菌が酵母に良く作用していると思っています。パンは作りやすいですよ。それに、僕のように集中して何かを作るような人にとっても静かでいい。パンを焼き終えて工房の前の軒先に腰かけてひと休みしているときに、ふとまわりをみて『きれいな景色だな』と感じてほっとするような時間は、ここでやっていてよかったなと思う瞬間でもあります

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イタリアで出会ったピッツァ、パン

1973年生まれの角谷さんにとって、イタリアは青年時代からの憧れでした。まずはバイクでイタリアを知り、車や音楽といったイタリア文化に興味を持ち始めます。とくに10代から20代にかけては、ディスコブームの真っただ中で、ユーロビート全盛期。イタリアのダンスミュージックはとくに「イタロ」と呼ばれて区別されていたほどでした。角谷さんは、大好きなイタロをもってDJとして活動していたこともあるといいます。

大阪にある辻調理師専門学校を卒業した後、できるだけ早く料理店を開業させたいと、一般の営業職やトラックの運転手をしながら資金を貯め、27歳で憧れのイタリアに渡ります。

イタリアでは、パスタとピッツァをとにかく学ぼうと思っていました。最初に入ったのはフィレンツェのレストラン。イタリアの中心で、イタリア料理全般を1年間学び、そのあとピッツァを学びにナポリへ移りました。ナポリでは、2年で30軒ほどのピッツェリアに直談判して回り、その中の4軒で修行しました

ピッツァの街・ナポリでは、ピッツァが街を代表するローカルフードであり、重要な観光資源でもあります。そのためビジネスを重視した経営をしている店も多かったといいます。

当時は、いつ日本に帰国させられるかという不安な日々を過ごしていたんです。だから、無駄な時間を過ごしたくなかった。ある店に入っても、そこで学べることはないと思ったらすぐに次の店に移る。結局長く続いたのは、職人気質のピッツァ職人がオーナーの店でしたね。そういう店は、仕事に対する姿勢や厨房のスタッフが目指すクオリティが高かったと思います

ナポリを離れた後は、もうひとつのピッツァの街、ローマのピッツェリアで数カ月働いてから、総仕上げとしてローマ近郊の街、ジェンツァーノ・ディ・ローマのパン屋に移ります。

ジェンツァーノには、小麦粉と水、塩のみで発酵させ、薪窯で焼き上げる伝統的な製法が400年以上前から伝承されています。 ヨーロッパの保護指定地域表示 、I.G.P(Indicazione Geografica Protetta)にも認定されており、街自体も”パンの街”として知られています。

ピッツァからパン屋へ。そこには、イタリア料理、またはヨーロッパの料理の中心にあるパン文化を深く知りたいという思いが角谷さんにありました。

大好きなピッツァも、基本的にはパンが派生した料理だと思うんです。ナポリでもポンペイの古代遺跡を見て、当時からパン屋があったことがわかっています。さらに、ヨーロッパを広く見てみたときにパンとワインが、たとえばキリスト教文化ではイエス・キリストの血と肉を意味していたりするなど、文化の根幹にあることにも気づくと、その大元であるパンを学びたいと思ったんです

イタリアでの総仕上げ。地元で100年以上続く老舗のパン工房「Forno a Legna Da Sergio」で1年半、みっちりとパン作りを学んで帰国します。

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粉のこと知らない、死ぬまでパン職人でいたい

パネッツァのパンは、修業してきたジェンツァーノのパンを基本にして作られています。

小麦粉と塩、水のみで作り、発酵させる酵母も小麦粉と水を混ぜて自家製酵母を使用しています。発酵や焼成といったすべての工程を蔵の中で行い、レンガ造りの窯は、益子の登り窯の陶芸作家に特別に作ってもらったものです。

パンはイタリアの各地方で作られているパン。「現地で食べられているまま、そのままを出していきたい」と角谷さんはいいます。

たとえばパネッツァを代表するパンとして知られているのが、表目にふすま(小麦の表皮)をまぶして焼いたふすまパンです。角谷さんが、素朴や田舎を意味する「Rustico」の名をつけた、ジェンツァーノで日常的に食べられているものです。

ほかにも、ナポリがあるカンパーニャ地方で食べられる硬質小麦と強力粉のブレンドパン「Cafone」やトスカーナ地方の全粒粉入り塩なしパン「Senza sake integrale」など、イタリアの郷土パンが並びます。

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いわゆる”フランスパン”は、細長いバゲットのようなものが一般的に知られていますよね。イタリアで有名なフォカッチャもあくまで郷土のパン。そもそもイタリアという国が出来たのもここ150年くらいのことで、それ以前は、20州が小さな国だったわけです。そういった多様な地域性こそイタリアの特徴であり、イタリアパンの特徴でもあると思います

一方、角谷さんが使っている素材はイタリア産だけにこだわらず広く良いものを集めています。デュラム小麦のセモリナ粉やチーズやドライトマトといった食材はイタリア産ですが、小麦粉は北海道や三重、九州のものを。塩はフランス、ドライフルーツは、トルコやアメリカ・カリフォルニア産などです。

ちなみに店名の「パネッツァ(Panezza)」は、「パン(Pane)」と「ピッツァ(pizza)」を組み合わせた角谷さんによる造語です。「老後はピッツァを作っていたい」というのが角谷さんの夢ではありますが、あくまで自分自身は「パン職人」でありたいともいいます。

八郷にきて、開店準備の期間も含めるともうすぐ10年が経ちます。だけどパン職人としてはまだまだ。小麦のことを知らなすぎると思っています」と、その奥深さを今も実感しているとともに「パンをきちんと知ってからピッツァを作ることができたら、すごくいいピッツァになる」と、パン作りを学ぶほどより楽しみがあるともいいます。

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この日撮影したパンは、Rustico(ふすまパン)のほか、イタリア産のマロングラッセと栗粉が入った「castagna(栗パン)」、イタリア産チョコレートと伊予柑ピールが入った「チョコレートパン」、黒ゴマと伊予柑ピールが入った「ゴマパン」。

300℃の薪窯でしっかり焼き上げられたパンは、表面はしっかり焼き固められていながら、中はしっかりと生地が詰まっていて食べ応えがあります。軽く口あたりがよく、パンにもしっかり味がついて”パンだけでも食べられる”パンが多い今、角谷さんが焼くパンは、見るからに異彩を放っています。

イタリアパンは、イタリアの食事と一緒に食べるもの」と、角谷さん。筆者も栗とゴマのパンを、チーズ入りのサラダや軽い煮込み、カツレツなどのイタリア料理と一緒に合わせてみたところ、しっかりとうま味とほどよい酸味のある味わいのパンが、料理を下支えしてくれ、やや甘い栗や伊予柑ピールがかえってアクセントになって、調味料的な役割も果たしています。

もちろんそのままでも食べられますが、パネッツァのパンは、食事に合わせて食べるときこそ、もっとも”おいしい輝き”を放つと感じました。

”秘境”でパン作りをする難しさ

将来は、地方でレストランや飲食店を開いてみたい――。シェフや料理人の中でも、コロナ禍で都会での生活に疑問を感じ、地方に生活拠点を置きたいと思う人も増えてきました。

茨城県南部は都心に近く、ベットタウンとして流行感度の高い人も住むエリアでありながら、自然や農地にも近いこともあって、移住や開業先の候補にしている人もいるでしょう。「シェフと茨城」としても、シェフや料理人のみなさんのそうした夢をサポートしていきたいと思っています。

一方で「知り合いのいない地方に移住して開業することは、とても難しい」と角谷さんはいいます。

地域の中に、いきなり外からパン屋がやってきても、受け入れてもらえないでしょう。とくにお客様を呼ぶ商売なので、自分がどんなお店をしたいと思っていて、どんなことが起きるのかを、町内の皆さまに理解していただく必要があるのです。ほかにも、都会でレストランをやっていて、町内会の行事に関わることはありませんが、地方に来れば、たとえば地域のドブ掃除などに参加したり、地域のゴミステーションを利用させてもらわないといけない。2年半、開業先を探し続けたのもそういった理由で、長く続けていける場所を見つけるのはとても難しい。その点で、八郷のこの場所は、近くに知り合いがいたというのが大きいです。この家の大家さんとも話をしてくれたんです

現在、パネッツァを開いている築100年の農家は、借家です。もちろん飲食店用の家屋ではありませんし、飲食店として貸与するのも初めてです。そういった中で、信頼してもらうためにも仲を取り持ってくれる存在は不可欠といえます。

今では、お店に理解をしてくださって『お店が忙しいだろうから、町内会の仕事はやっておくよ』ということまで言っていただいて、本当に感謝しています

もうひとつ言えるのは、角谷さんにとって「八郷に惚れ込んで、絶対に八郷で開業したい」ということが始まりではなかったという点です。あくまでイタリアで見てきたままの自然の中で薪窯を使ってパンを焼きたいという自分のスタイルを実現させる場所として、自然に辿り着いたのが八郷でした。

桃源郷みたいな場所ですけど、八郷に籠ってパンを作り続けているわけでもなくて、週末はイベントで東京にいったりしますからね。”隠遁した仙人”というわけではないんですよ」と笑う角谷さん。

さまざまな理由から、茨城県に住んで開業したり、創作の場所に選んだりする人たちがいます。角谷さんの話の中でも、人と人のつながりが、縁を生んで、運命を紡ぎ出してきたこともわかります。

そういった縁が交わる場所が、意外と身近な茨城県にこそあるのかもしれません。

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