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谷口能彦さん|食材はあくまで「パーツ」。シェフの最高の「武器」になれたら

茨城県の青果物は、東京都中央卸売市場で16年連続で日本一(※2004~2019年の取扱高)で、首都圏の食卓を支える大きな存在といえます。さらに「茨城県で栽培されていない野菜は、ないんじゃないか?」というくらいに多品目の野菜が育てられているので、「あの野菜ありますか?」と言われれば、すぐに生産者さんを紹介できるのが茨城県の強みといえます。

しかし、正直に申し上げます。そんな食材王国・茨城にあって、あまり作られていない野菜があります。その代表的な野菜がアスパラガスです。

農林水産省が2020年に発表した「作物統計」によると、2019年の収穫量上位は、北海道の3,340tが1位、次いで佐賀県の2,850t、熊本県の2,110tと続いています。収穫量が記載されているのは19道県あるのですが、その中に茨城県の名前はなし、”収穫量の測定なし”のランキング外です。つまり、全体的に見ると茨城県はアスパラガスの収穫量が少ないことがわかります。

もちろんまったく栽培されていないわけではなく何軒かの生産者さんはいらっしゃいます。その中でつくば市でアスパラガスを専門的に栽培している「つくば谷口農園」の谷口能彦さんは、いわゆるJターンで新規就農された若手生産者です。

東日本大震災で感じた終わりのある人生
やりたいことを今やろうと農業を始める

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アスパラガスは、農業経営の中では比較的”ブラック”な作物なんです。というのも、茨城では3月の終わりから10月の初めまで収穫が毎日続くのと、高い温度のストレスで曲がってしまったり、水を少しでも切らしただけで芽が出てこなくなったりするので、付きっきりで管理する必要がある作物なのです

茨城県なら、ほかにもさまざまな野菜が育てられる環境だから、わざわざ手のかかるアスパラガスを育てる必要がないというのは、茨城県がなかなかアスパラガスの産地にならない理由かもしれません。

北海道や長野といった冷涼な産地がもちろん栽培に適してはいますが、皆さんがスーパーでよく見かける輸入のアスパラガスは、メキシコやペルーといった赤道直下の国から来ています。栽培に手間はかかりますが、高温に強い性質がアスパラガスにはあるんです

ユリ科の多年草であるアスパラガスの原産地は地中海沿岸といわれていることからも、暑さに対する強さがうかがえます。

しかしなぜ谷口さんは、わざわざ手間のかかるアスパラガスを、脱サラしてまでつくば市で作るようになったのでしょうか。

茨城県日立市出身の谷口さんは、筑波大学生物資源学類土壌学(現:土壌環境科学)研究室の在学中に”酒を知り”、飲むだけでなくその奥深い文化に魅了され、アルコール業界の花形であるビール会社への就職を希望します。大手4社を応募して受かったのがサッポロビールでした。

ビールの味が好きだったサッポロビールに入れたのはうれしかったですね」と谷口さん。入社当初は、物流の部署へ。その後は輸入ワインの部署でフランスワインを担当します。29歳までの7年間で「ワインのことは販売と製造以外すべて経験させてもらいました」と当時を振り返ります。

転機になったのは、入社4年目の26歳で経験した東日本大震災でした。故郷が被災したことで望郷の念が強まる中、「人はいつ死ぬかわからない。いつかやりたいと思っていることは、今やらないといけない」と考えるようになったといいます。

谷口さんにとっての「いつかやりたい」は、実は農業でした。筑波大時代に土壌の研究で訪れたつくば市内で有機農業に取り組む石田農園で食べた野菜の味が、ずっと忘れられずにあったといいます。

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ワインもアスパラガスもあくまでツール
その先の文化を作りたい

さらに、仕事として携わっていたワインにも魅了されていました。

学生時代はワイン文化の奥深さが”怖くて”、はまらないようにしていたのですが、仕事として携わるうちに、すっかり魅了されてしまうわけです

もともと食べることも好きだった谷口さんには、ワインがもつ「食べ合わせを考える文化」に楽しさがあったといいます。

王道のフランスワインを担当できたのは幸運だったと思います。ワインは、これは絶対に合うという鉄板の組み合わせもあれば、まったく違う国の食材と合わせたりすることもできる。無限に組み合わせが可能なところも好きになった理由です

故郷・茨城県に帰って就農するなら、ワインに合わせられる野菜を作りたい。そのときにまず思い浮かんだのが大好きなアルザスの白ワイン、それに合わせて食べたい野菜としての「アスパラガス」だったのです。「だから始めた動機はとても不純なのです」と谷口さんはいいます。

そして、食べてもらう人にもお酒と一緒に楽しんでもらいたい。そんな思いから、谷口さんの野菜を購入されたお客様にはなるべく「おすすめのお酒」を一緒に紹介するようにしているそうです。

アスパラガスだったら、もちろんアルザスの白、特にリースリング種のワイン。ほかにも、今だと枝豆も販売しているので、枝豆には『サッポロビールの黒ラベルと一緒に』というように案内をしています。ただ食べてもらうだけでなく、家庭の食卓で何か新しい発見をしてもらえたら、僕にとって『勝ち』だと思っています

目指すのは「おいしい野菜を作る」ことではなく、野菜とワインを一緒に食べるという「文化」を根付かせること、と谷口さんはいいます。

だから、野菜も、ワインも、僕にとってはあくまでツールなんです

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太いアスパラガスばかりではなく
形がきれいなアスパラガスを作りたい

現在谷口さんは、つくば市内の3棟のハウスでアスパラガスを育てています。取材したのは、6月上旬。むわっとした高温多湿のハウスには、高さ1.5mほどのアスパラガスの茎葉が生い茂っています。その茎葉の根元のあたりから、すぅっとアスパラガスが伸びてきています。

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ほとんどの野菜は、一度収穫したら終わりの「一年草」ですが、アスパラガスは、何年にもわたって収穫できる「多年草」。地下茎から毎年生えてくる新芽がアスパラガスになります。栽培には時間がかかり、苗を植えて1年目、2年目は収穫をせずに土の中の株を生長させ、3年目から新芽の収穫が始まります。それからは、10年間ほど収穫できます。

アスパラガスを育てるのに必要なことは「土づくり」と「環境管理」だと谷口さんはいいます。

まずは、土づくり。おいしいアスパラガスを作るためには、土の中にある株、とくに貯蔵根と呼ばれる根にいかに栄養を貯めこませるかで決まってくるといいます。そのための土づくりが大事で、谷口さんは、もみ殻やぬか、ミネラル分豊富な魚の粉末、さらにはイースト菌や納豆菌を混ぜて発酵させた肥料を使ったり、牡蠣やホタテの貝殻をカルシウムとして蒔いたりするなどした土づくりを行っています。また、農薬ゼロにはできないものの、極力農薬を使わないことにもこだわっています。

アスパラガスは、土の中で育つのだから土の環境が大事。ふかふかで空気がたくさん入っているような土だと、根を張りやすく、栄養を貯めやすいと思ってます

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環境管理については、夏場の温度が高くなりやすい茨城県での栽培ではとくに気を付けなければいけないことだといいます。

高温に耐性があるアスパラガスですが、それでも高くなりすぎるとそのストレスで形が曲がってしまったり、茎が丸ではなく平べったい四角に変形してしまうことがあるんです。とくに夏場は、ハウス内の天窓を開け閉めしたりして、ストレスをかけないようにしています

さらに水やりも神経を使うところです。ハウス中を見てると、土の上に細いゴムの管が張りわたされていて、そこから、ポタポタと10秒に1滴程度水やりがされています。このまわりから新芽が出てくるのですが、水やりが一時でも途絶えてしまうと、途端に新芽が出なくなってしまうのです。

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しかし、水やりについては、茨城県南部の地の利があります。豊富な霞ヶ浦用水があるので水が止ることがないのです。たとえば、他の地域だと、井戸を掘ったり、タンクで水を運んできたりしているところもあります。その点は、谷口さんのハウスがあるつくば市は、農業用水が豊富で、アスパラガスの栽培に有利なのです。

さらに、他の生産地にくらべて暑い日が続く茨城県では、夏場の温度管理こそ過酷を極めますが、収穫期が長くとれるので、その分販期を長くもつことができるのがメリットの一つです。

栄養豊富で生きた土を作ることで食味を良くし、丁寧な環境管理をすることで、すぅっと真上に伸びた美しいアスパラガスを育てる。それが谷口さんの考えるアスパラガスの理想です。

アスパラガスは、太いものだけを育てることはできません。太い茎のまわりで守るように細い茎が生え囲むので、サイズに大小が出てしまうのです。もちろん太いアスパラガスが生えやすい品種もあるのですが、私の場合は大小バランスのよく生えてくる方がいい。もっというと、中くらいのサイズが好みということもあって、大小バランスよく生えるガリバーという品種を使っています

レストランの「作品づくり」に関われる喜び

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谷口農園の野菜の現在の販路は、個人向けのお客様向けの販売、通信販売、飲食店卸、地域の産直卸で、割合としてはそれぞれほぼ同じだといいます。この先力を入れていきたいのは、飲食店への卸だといいます。

アスパラガスとワインの提案もそうですが、飲食店さんでなければできない調理法でアスパラガスのおいしさを知ることもできると思うんです。それに僕自身も、そういったおいしいアスパラガスの料理を食べてワインを飲みたい(笑)。今は、つくば市内のお店や、都内からも注文が入るようになりました

つくば市で行列ができるベーカリーとして知られる「ベッカライ・ブロートツァイト」では、アスパラガスを使ったサンドイッチが人気。同じくつくば市内の「カフェ&レストラン バスティーユ」でもアスパラガスのほか、リーフレタスなども使われています。

さらに東京・外苑前のイノベーティブレストラン「JULIA」でも、今年からアスパラガスの取り扱いが始まり、「どんな料理になるのか楽しみ」と谷口さんも期待を寄せています。

つくば市で就農するメリットがもうひとつあるとすれば、飲食店との距離の近さだと谷口さんはいいます。つくば市には、筑波研究学園都市もあり外食の文化が比較的根強い土地。都心にも近く、とくに鮮度が命のアスパラガスにとっては、輸送の時間が短くすむので管理がしやすいともいいます。

『商品の状態を損なわずに届ける』ということには、ビール会社で物流をやっていた経験が活きているんですよ。たとえば、『明日は暑くなりそうなので、高温になる日中を避けて午前中にお受け取りいただくことは可能ですか?』と聞くようにしています。その後の発送でも、出来るだけ温度変化にさらされるリスクを減らすために、発送の締め切り時間ギリギリまで自分とこの冷蔵庫で保管するなどしています

ほかにもアスパラガスの穂先はとても傷つきやすいので、紙で包んで梱包するなど、ビール会社時代の経験を活かした商品管理を行なうようにしているそうです。

「レストランは、シェフが主役のステージ」だと谷口さん。その中では、谷口さんが育てたアスパラガスは、そのステージを際立たせる「パーツ」だともいいます。

ひとつの作品づくりに携わらせてもらっている、という気持ちです。それに、たくさんの食材を見てきたシェフに選んでもらえるのは、『認めてもらえた』という喜びにもなります。さらに自分が作ったアスパラガスが、シェフにとって特別な”武器”になってくれたらもっとうれしいですよね

もちろん、高級店で使ってもらえることとともに、普段使いの居酒屋や小さな小料理屋さんで使ってもらえることも、自信と喜びになっているといいます。

飲食店さんは、このコロナ禍で、これまでのように営業ができずに苦しんでいると思うんです。それでも毎年変わらず野菜を注文してくださる。もちろん、通販で買っていただける方、道の駅などで並ぶのを楽しみにしてくださる方も含めて、野菜を作らせてもらっているという気持ちが、日ごとに強くなってきています

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次回の更新は、8/11(水)。都内のバーテンダーや醸造家が集まって6月に開催した「さしま茶お茶職人ツアー」をレポートします。どうぞお楽しみに!

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Supported by 茨城食彩提案会開催事業
Direction by Megumi Fujita
Edit & Text by Ichiro Erokumae
Photos by Ichiro Erokumae

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