奥野義幸さん|充電場所ではなく「新しいカルチャーの発信地」を目指してレストランを開く
突然ですが「シェフと茨城」の読者の皆さんにクイズです。
「一人あたり0.688台」。茨城県に関するこの数字は一体何を表すでしょうか? ちなみに、群馬県(0.708台)、栃木県(0.689台)に次いで全国第3位と高い数字になっています。
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正解は「人口一人あたりの自家用車の保有台数」です。
茨城県の生活には、自動車が欠かせないというのがわかりますね。今回の「シェフと茨城」では、車の話題から始まります。
急速充電時間30分は「待ち時間」ではない
2021年11月、再生可能エネルギーを用いた発電所の開発を行う企業「ノーバル・ホールディングス」のつくば市にある本社に、アメリカにおける電気自動車開発の最大手であるテスラモーターズが製造する電気自動車専用の高速充電設備「スーパーチャージャー」が設置されました。
場所は、つくばエクスプレス「万博記念公園駅」から徒歩3分ほど、つくば市と取手市方面を結ぶ「新都市中央通り」沿い。車が生活に密着している茨城県内で初となるテスラのスーパーチャージャーが、"日本のシリコンバレー"つくばに置かれることになったのです。
このスーパーチャージャーは、V3タイプで最大出力250kW。プラグを差し込んでから充電が完了するまでおよそ30分。10分もあれば満タン給油ができるガソリン自動車に比べると、待ち時間は「長い」と考えることもできます。
しかしノーバル・ホールディングスは、この課題をポジティブに捉え「充電中のドライバーや、EVに関心がある人々の交流の拠点」としての新しい価値を作り出そうとサスティナブルやフードテックといった時代のキーワードを体現するようなレストランの併設を計画。2022年春に開業することになったのです。
そのレストランのオーナーシェフが、イタリアンレストラン「ラ・ブリアンツァ」の奥野義幸シェフです。2014年版の「ミシュランガイド東京」以来、8年連続でビブグルマンを獲得し続けている名店で、5店舗のレストランを運営しているだけでなく、現在は、アメリカ・ロサンゼルスにTOKYO ITALIANのコンセプトで「MAGARI(マガーリ)」という名のレストランを今年2月にオープンした日本を代表する料理人です。
Instagram: Pasta magari (@pasta_magari)
HP:https://www.magari.cafe
「店名は『パスタ マガーリ 』、パスタの専門店です」と奥野シェフ。テスラの電気自動車を充電している間を「待ち時間」にするのではなく「新しい価値体験の時間」にしたいと考えているといいます。
「厨房はオール電化にして、そのエネルギーはノーバル・ホールディングスの技術を利用した屋上のソーラパネルから得ることになります。ほかにもシングルユースのプラスチックは使わないようにしたり、最新の冷凍技術を使った食材管理をするなど、食に関するサステナビリティやテックの導入を進めていくことで、レストランの未来像を提案できたらと考えています」
次世代のレストランの姿を想起させる「パスタ マガーリ」のコンセプトのなかにも含まれる「フード・マイレージの可能な限りの削減」という視点では、地産地消を推進し、つくば市や近郊市町の食材を積極的に使っていきたいと考えていたなかで、「シェフと茨城」の産地アテンドのことを知り、今回産地視察のコーディネートの依頼があったのです。
「僕自身、実際にお会いしてからでないとレストランで取り引きが始まらないことが多いんです。食材については、人と人のつながりだと思っているので、今回つくばの生産者さんにお会いできるのもそうですが、茨城県の職員の方とお会いできるご縁もいただけたらと思いました」
さっそく「シェフと茨城」を主催している茨城県営業戦略部東京渉外局県産品販売促進チームが中心になって、新店のコンセプトやビジョン、価格帯などをヒアリングしたうえで行程を立案、ロサンゼルスの店舗のオープン準備のなか一時帰国中だった奥野シェフのスケジュールの合間を縫って、1月中旬に日帰りでの産地見学を行うことになったのです。
土浦市|武井れんこん農園
茨城県を代表する野菜の一つであるレンコンを栽培する武井れんこん農園は、つくば市の東隣の土浦市にあり、霞ヶ浦の北東端でEM農法(有用微生物群)の先進的な実施例としても知られる生産者です。
農園の代表の武井利明さんから、レンコン栽培の方法や植物としての特徴、じつは節ごとに適した調理が違うという話などを聞きます。
「イタリアではレンコン料理はないんですよね。アメリカのマルシェでも、見たことがない」と奥野シェフ。武井さんも諸説あるといいますが「日本と中国くらいという人もいます」とのこと。「おすすめの食べ方はなんですか?」という奥野シェフの質問には「てんぷらだね」と即答していたのが印象的でした。
土浦市|ケロケロ農園
ケロケロ農園は、土浦市北東部にある果樹農園です。年間を通して、リンゴやブドウ(シャインマスカット、ナガノパープル)、梨、栗などを栽培しています。
この時期の主力はなんといってもイチゴ。もともと梨園からスタートしたケロケロ農園で、2代目として新たにイチゴ栽培を始めた羽成善哉さんです。
ケロケロ農園の直売所の裏手にあるハウスではイチゴを高設土耕で栽培。いばらキッス、よつぼし、紅ほっぺ、かおり野のイチゴの品種が育てられ、直売はもちろん、摘み取り体験もやってます。
なかでも奥野シェフが気に入ったのが茨城県のオリジナル品種「いばらキッス」。「すっきりとさわやかな味わいなのに、余韻にしっかりと糖度を感じる。しぼりたてのジュースにしてメニューに出したら喜ばれそうだよね」とさっそく新店舗でのアイディアとして刺激を受けていました。
土浦市|佐藤畜産
佐藤畜産は、土浦市で創業50年以上になる国産豚肉専門の精肉店です。茨城県ブランド豚「常陸の輝き」や、茨城県石岡市にある弓野畜産が育てた「弓豚」、同じく石岡市の武熊牧場の「たくま豚」などのブランド豚を扱う一方で、そのブランド名ごとに販売をするのではなく、佐藤畜産が目利きをした「極選豚」として、ブランド名に関係なく販売しているのが特徴です。
「ブランドで選ばれた方から『この前とは味が違った』というような声を聞くことがあります。同じ牧場で飼育されていても生き物ですから、個体によっても違いますし、季節によっても違います。それなら肉屋が目利きをすることでよい豚を安定して出せるようになると考えたのです」と佐藤正弘さんはいいます。
さらに、自社のと畜場をもつため豚の内臓を販売することも可能。通常の共営のと畜場でと畜されると、すべてがひとまとめになり、個体ごとに内臓を買うことができません。しかし、佐藤畜産では自社のと畜場をもつことで、自分たちが信頼する生産者の豚の内臓だけを買うことができるのです。
もちろん精肉店なので、加工もできます。「ボロネーゼのようなラグーパスタを考えていたので、とてもありがたいです」と奥野さんはさっそく佐藤畜産が扱う豚肉のモモやスネなどのひき肉を試作してみるといいます。
つくば市|石田農園
土浦市からつくば市へ。土壌医の資格を持ち県内でも有数の「土づくりの匠」として知られる石田真也さんの「石田農園」に向かいます。有機栽培で育てられた野菜やベビーリーフ(野菜の幼葉)を見学に行きます。
「土が野菜を作る」という先代の哲学を変えることなく、牛フン堆肥やボカシ肥料(有機肥料を合わせた混合肥料)を自分たちで作りながら、土づくりを続けているといいます。
1.7haの農園では、路地にはタマネギやニンジンが、ハウスにはレッドマスタードやルッコラ、カラシナなどのハーブが栽培されています。
石田農園で採れたばかりのニンジンを絞ったジュースを試飲します。
「うわ、なんだこれ。すごいおいしい」と驚く奥野さん。フルーツジュースといってもわからないほど糖度が高いながら、しっかりとニンジンの青い香りがするニンジンジュースを飲んだ奥野さんは「これは、スペシャリテになるよ。ニンジンだけのジュースなので値段は高くなるけど、それでも出す価値があると思う」と、パスタ マガーリのメニューの核になると直感したようです。
さらに、生物や自然環境にできるだけ負荷を与えない農法を実践する生産者に与えられる「有機JAS認定」も受けていることも、パスタ マガーリのコンセプトにぴったりだと奥野シェフはいいます。
有機JAS認定は、化学合成された農薬や肥料、組み換え遺伝子に由来する農業資材などを使わずに作られた農産物や、それらを原材料にした加工食品、さらにその作りかたや小分け・輸入のシステムが確かなものであることを法律に基づいて証明する制度です。審査の厳しいことでも知られています。
「土が味付けをしてくれるからね。それだけでおいしいんですよ」と、石田さんはいいます。
つくば市|なかのきのこ園
林のなかで切り倒した木に菌を植え数年かけて育てることから、「原木シイタケ栽培は、林業だ」といわれることもありますが、なかのきのこ園は、つくば市の平野部で原木シイタケのハウス栽培を行っています。
創業40年続くなかで安定した原木シイタケ栽培を目指し、現在は50棟のハウスで年間20万本の原木を扱い、シイタケを育てています。
「おがくずなどを圧縮して固めたブロックに菌を植え付ける菌床栽培よりも、原木栽培で育てたシイタケは、肉質がしっかりとして香りも濃いのが特徴です。木を置く場所や生産に多くのコスト・場所が必要となり、生産量も不安定。作業も重労働ですが、味わいには代えられないと思っています」と代表取締役の飯泉厚彦さんはいいます。
原木自体は1年で変えていきます。材料はコナラの木。以前は茨城県内の木を使っていましたが、2011年の東日本大震災による福島第一原発の事故による放射性セシウムが森林内に影響を与えたことで、使用ができなくなりました。そのため現在は、埼玉県や栃木県などから買っています。
「木を置く場所もコストになってしまうので、木が届いたらすぐに栽培が始められるのが理想です。木の在庫の管理やそのためにサイズをできるだけ揃えて送ってもらうようにお願いしたりなど、工夫をしながら効率化を進めています」
ハイテクと人肌のある世界が共存する
「テスラというアメリカの電気自動車をリードする企業の充電場所に、日本で初めてレストランを併設するわけですから、日本中の注目が集まるはずです。つくばというテックタウンということもありますので、『何かおもしろそう』と受け止めてくださる方にきていただきたいですし、将来的には『テスラのパスタ マガーリにはおもしろい感性の人たちが集まっている』という新しいサロンのような文化も作っていきたいんです」
そう抱負を語る奥野シェフは、一方で「レストランを作るときに考えるのは、おいしいものを継続的に店で提供することです」ともいいます。そのためには、その地域や立地、コンセプトに合わせた価格設定であったり、メニュー構成が必要で、それを考えることもシェフの役割なのです。
「そういうなかで今回は、客単価2000円から3000円で、充電の時間も考えるとある程度素早く提供できるメニューがいい。さらに、場合によっては調理経験が未熟なアルバイトでも作れるメニューである必要もある。そういうなかで、『パスタ マガーリ』は、どうしたらお客様によろこんでいただけるかということを常に考えています」
そのなかでも原価をできるだけ抑えて、リーズナブルに食べてもらいたいと考えているからこそ、たとえば今回つながることができた生産者とは、値段が付きにくい規格外の野菜や果物をお互いが"ウィン・ウィン"になる価格で購入しながら提供することもしていきたいとも奥野シェフはいいます。
「今回、パスタ マガーリ周辺の生産者さんにお会いして、近くに生産地があることがわかりました。春の開業に向けてこれから何度もつくばにくることになりますので、そのたびにできるだけ生産者さんにお会いして、よい関係を作っていきたいと思っています」
SDGsを目指す取り組みやフードテックの導入など、「パスタ マガーリ」の最新のレストラン像が楽しみな一方で、こうしたアナログで、人肌のあるつながりから生まれる料理も楽しみであり、それは「人と人のつながり」を大切にする奥野シェフでしかできないことともいえるでしょう。
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次回の更新は、2月23日(水)。ANTCICADAのドリンクを担当する気鋭の酒ディレクターの山口歩夢さんと日本酒メディア「SAKETIMES」副編集長の内記朋治さんが、茨城県内の酒蔵をまわりました。その見学ツアーのレポート前編をお届けします。
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Supported by 茨城食彩提案会開催事業
Direction by Megumi Fujita
Text by Ichiro Erokumae
Photos by Ichiro Erokumae